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2015年01月23日

【KANO公開直前SP】台湾の蕃族の野球が日本統治に利用された悲しい歴史【郭源治の少年時代】

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先週のエントリーでちょこっと紹介した、1975年初版刊行の「人生読本 野球」の、

「”蕃人”野球チーム ー 少年たちの栄光と悲哀」(鈴木明)

を、今一度読み返してみた。

この「蕃人野球チーム」は「KANO…嘉義農林」のことを指している訳ではない。それより数年遡ること大正14年(1925年)夏。
「能高団」
という台湾の野球チームが「内地」に遠征にやってきて、日本の中等学校(現在の高校)の強豪野球部と互角以上に戦ったという、誰も知らなかったような野球史の「影」を、鈴木明が現地で実際にインタビューを敢行して掘り起こすといった難事業に取り組み、この結晶ともいうべき「寄稿」が生まれた…

「能高団」とは、能高という街の名前を冠した野球チームで、今の高校生ぐらいの子たちが集まって結成された。そしてこのチームのメンバーは
オール”蕃人”
なのだ…彼らは野球を教えられて僅か1年程度で、東京の強豪・早稲田中学や大阪の強豪・天王寺中学や八尾中学と対戦。互角以上に渡り合い、勝ったり負けたりしている。(ちなみに大阪のチームとの対戦では、大正13年に竣工していた甲子園が使われている。)
「KANO」は「蕃人・漢人・日本人」の混成チームだが、このチームは純粋な蕃人だけのチーム。

蕃人…「首狩り」の風習があった台湾の原住民のことで、この当時も台湾の山中で首のない死体が見つかった事件も起こっていたぐらいだから、日本人たちの偏見も激しかったと思う。彼らは日本人や漢民族に対して色が黒い。それにコンプレックスを感じている。首を狩るようなことをしているので、獰猛な民族に思われがちだが、日本人だって武士の時代は皆戦った相手の首を獲っていたわけだ。それどころか台湾の蕃人たちは女系社会なので、男性たちは恥じらい深い大人しい人達が多いのだ。

鈴木明氏の説明で印象に残っているのは、日本統治時代から時を経た1970年代に取材を受けても、彼らが日本語を明瞭に話していることだ。何年も日本で暮らしているアグネス・チャンのような「なまり」もなかったようだ。日本人に「同化」しようと懸命だったんだろう…
これは「能高団」の話ではなく「KANO」のメンバーの一人の逸話だが、晴れて甲子園大会の出場が決まって、初めて「内地」に向かう際、蕃族の少年たちは不安だらけだったようだ。「蕃人が内地人からどう見られるか?」ということに対して。人一倍色が黒かった捕手の東は、近藤兵太郎(嘉義農林の監督)に、
「白粉(おしろい)をつけましょうか?」
という冗談を言ったそうだ。すると近藤が真顔で

「顔が黒ければ、心が黒いのか?
顔だけ白くすれば、心まで白くなるのか?」

という言葉を返したそうだ。

この近藤テイストが永瀬正敏に宿っているような期待感を、「KANO」の予告編を見て持った。捕手の東は、映画ではひょうきんでお調子者に描かれていそうだが、史実では恥じらい深い方だったことを念頭に置きながら見ると、面白いかもしれない。
話を「能高団」に戻すと、結局彼らは台湾総督府の政治と台湾の土木業者たちに利用されていた。大日本帝国政府から予算を回してもらうには、蕃人たちが実は教育水準も高く、日本人がもっとも好きな野球というスポーツでも能力が高いということをアピールさせて、台湾の開発が帝国にとって重要であると認識してもらわなければならない。彼らは充分にその「目的」を果たし、達成したら解散となった。そしてその後、鉄道敷設工事などの「強制労働」を課せられていく…。
賃金は漢人の半分。それだけではない。
女系社会で彼らが半月も家を空ければ、奥さんは大抵いなくなっていた。女性から三下り半を突きつけられる社会なのだ…。

KANOで全島のヒーローになった蕃人の選手たちもいたが、こういった「先輩方」がいたことも忘れないでいたい。この事実を掘り起こした鈴木明の執念に、最大限の敬意を示すしかない。
日本の古い新聞を読み返すだけでは、野球の記録が載っているだけで、彼らの「背景」まで読み取ることは不可能。
台湾で古本屋から古本屋を探し回り、
「台湾野球史」
という本に辿りついたために、この「力作」を発表することが出来た。
台湾野球史は台湾日日新聞の湯川充雄という方が、昭和7年に発表した838頁からなる大著。明治43年から昭和7年までの台湾における野球の記録が網羅されているようだ。(記録といってもデータじゃないよ!)
この辺りの鈴木の「能高団の謎を追う旅」は、伊集院光のラジオ番組で幻の台湾人プレイヤーを追う工程を彷彿とさせる。後世の我々にその「熱」が伝わってくるような凄まじい描写の連続で、読んでいるだけなのに手に汗を握った。

鈴木明は「能高団」と「嘉義農林」という2つのチームを軸に、蕃族と野球の関わり、そして日本との関わりを、精力的な現地取材をこなしながら、1970年代の野球ファンにつまびらかにした。鈴木は「1970年代という現代」における、蕃族と野球の関わりに関しても最後に書き記している。
台湾の少年野球チームが、ちょうどリトルリーグの「世界一」に輝いた頃だ。

この時全国の優秀選手を集めて結成されたのが「金龍隊」である。この中に、郭、余、という二名のアミ族の少年が交っていた。彼らは生まれた時から中国名であった。そして、この金龍隊はアメリカで奇蹟的に、世界選手権を獲得して台湾に凱旋するのである。

皆さん、お気づきですか?これは少年時代の郭源治(のちに中日)のことを書いている項である。もちろんこの時の鈴木はそれを知る由も無い。そして、もう一人の余は、余貴美子の親類…のワキャない。(すいません、重い話に耐え切れなくなって一つ差し込ませて頂きました…)
「日本色」の濃い野球というスポーツは、中国人としての自覚を全島民に植え付けたい蒋介石率いる中華民国政府から敬遠されていた。ところが少年たちが世界一になると、手のひらを返すように「国家プロジェクト」に祭り上げられた。鈴木は最後にその辺を皮肉って閉めている。

とりもなおさず、どの時代においても蕃族が野球で秀でているから、時の為政者たちから「利用」され続けたのだ。
彼らはその風貌から、野球をしても「古風」「荒削り」などと嘲笑に近い比喩で表現されてきた。だが、やがて真の日本人の野球ファンたちはあることに気付き、彼らに自然と拍手を送る衝動を抑えられなくなる。
洗練されているかもしれない内地の野球チームは、勝つことに汲々とした「小手先の作戦」で勝利を収めようとする。逆に蕃人のチームはどんなラフプレーを受けても、審判に抗議をすることも無かったという。
能高団や、嘉義農林の野球を目の当たりにした当時の日本人たちが、彼らに拍手を送った意味を鈴木はこう表現している。

しかし「能高団」がファンに与えたイメージは、当時の日本人がひそかに持ちたいと思い、そしてすでに失ってしまった「剛健」「真摯」そして「勇敢」であった。彼等はプレー中、「何ら他を顧みることなく、自己の攻撃、防御のみに腐心し、雑念なく、駆引きなくそこにスポーツマンの真髄が宿って」いたのである。
結果だけ見れば日本のいくつかのチームはたしかにスコアでは勝った。しかし、それは技術や駆引きで勝ったのであって、当時の日本人が理想とした「魂」の勝ち方ではなかった。多くの日本人は、「蕃人」の中にこそ、日本中が理想としていた純粋な魂のふるさとを見出したのである。

1月24日に日本公開が開始される「KANO」。日本人監督(近藤)の指導が全てでは無く、「蕃人たちは元々野球を受け入れるだけのポテンシャルを備えていた」、という視点で見てください。
「顔が黒ければ、心が黒いのか?
顔だけ白くすれば、心まで白くなるのか?」
果たして、近藤のこのセリフは映画の中に出てくるんでしょうか??



posted by mansengo at 20:23 | Comment(0) | 球力ナミダ男
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