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2014年01月02日

ウソ記事だらけの野球紙界隈【日本初のプロ球団同士の対戦】

HOME野球ミニ薀蓄 > この記事

明けまして、おめでとうございます。
今年も何卒「千葉マリン26マイラー」を宜しくお願い申し上げます。

旧年中に読んだ野球雑誌のコラム、そして本…間違いが横溢している。
週刊ベースボールの

「2014年はプロ野球80周年だが、プロ同士の初の試合から78年。
36年2月9日の巨人−金鯱戦だ。渡米壮行試合なのに巨人は3対10と完敗」

という記事。ダウト!ダウト!

プロ野球80周年という冒頭が、そもそもダウト。これはこう書き換えなければならない。
「NPB80周年」
日本に存在するプロ野球団体の中で、比較的長く続いている団体の継続年数に過ぎないのだ。唯一無二の存在ではない。

では正解を書き記そう。
日本初のプロ球団同士の戦いは、

「1923年(大正12年)6月21日午後、京城(ソウル)郊外の竜山満鉄グラウンドで行われた芝浦協会(日本運動協会)対天勝野球団の一戦。

と、なります。

NPB所属チーム同士の対戦より13年も前の「大正時代」に、既に日本のプロ野球チーム同士の対戦は行われていたのである!
後の巨人軍に所属する選手の中に、この日本初のプロ球団「芝浦協会」に所属していた選手がいる。山本栄一郎選手。
球史に名を残すような有名選手がひしめくスタート時の巨人軍。それもそのはず、ベーブ・ルースを主将とする全米軍を迎え撃つために結成された全日本軍が母体となっているので、実質「オール・ジャパン」の面々なのである。この中で山本栄一郎は際立って「無名」だ。この時既に32歳。
他の有名選手たちが「呼ばれて」全日本に加入したのに比べ、山本はただ一人「志願」して加入した。巨人軍のテスト入団第1号かもしれない。

よく「日本で初めてプロ野球の球団と契約した選手は三原脩」なんていうのが、クイズになったりしているが、これも「不正解」だ。そもそも巨人は日本最初のプロ球団ではないのだから、「日本初」というのが既にダウト。正しく書くとこうなる。
NPBで初めて、書面で選手契約を交わしたのが三原脩」
実は山本栄一郎は、三原の契約より早く、巨人軍との契約を約束していたのである。「口約束」だろうが、「契約」には変わりない。なので三原を初に仕立てあげたいのであれば、「NPBで」と「書面で」という2つの言葉を入れないと、不正解になる。これクイズ番組で不正解になって賞金を取りそこねたのであれば、訴訟を起こしてもいいレベルだと思う。
NPBも歴史を捏造するのを、そろそろ止めていただきたい。どこかの国と一緒になっちゃいますよ!

山本栄一郎は芝浦協会では「エースで3番」を務め、先に上げた日本初のプロ球団同士の対戦「芝浦協会対天勝」でも投げている。彼こそ本当の意味でのレジェンド。協会以降、大連実業団に加入して都市対抗で優勝メンバーになったりもしているが、ベーブ・ルースがやってくる頃には既に現役を退かなければならない年齢になっていた。にも関わらず、自ら志願してプロ野球の世界に飛び込んでいった。32歳でのテスト入団。そして初期巨人軍でそれなりに活躍し、なんと40歳まで現役を続ける!
彼はアマチュア野球の強豪チームにはいられない身の上だったことも挙げられる。都市対抗で優勝した大連実業団では不動の4番打者だったのだが、程なくしてチームを離れている。これは自分が「職業野球出身選手」であるために、「プロが入ってたから大連実業団は優勝できた」と、チームと仲間たちが後指をさされるのを恐れるあまりの「決断」だったと言われている。自分の力を示したかったにも関わらず、中央球界に所を得なかった悲運の選手だったのだが、再び職業野球が始まると聞いて、いてもたってもいられなくなり、「志願」参加した。
他の名うての野球選手たちは、海のものとも山のものともつかない職業野球に誘われても躊躇するのが一般的だったが、そこは「金の力」で入団を決めている。おそらく山本の契約金や給料は一番下のランクだったと思われる。

芝浦協会を立ち上げ、その後NPBでも後楽園球場を作り、その子会社球団「イーグルス」を運営した河野安通志。早稲田の名投手から監督、そして協会・NPBでは経営側に立ち日本の野球の発展に尽くした。
巨人は早大の後輩・市岡忠男が全権を握っていた。この河野✕市岡っていうのが、まさに「広岡✕ボビー」っていう間柄で…おっと広岡も早稲田出身だな(笑)
早稲田の監督だった市岡のところへ、協会を潰し失職していた河野が総監督として乗り込んでくるんだ(昭和4年)。総監督が「越権行為」で選手指導をしてしまうもんだから…市岡はプライドを傷つけられ、辞任。そしてそれがきっかけで巨人軍の立ち上げに関わり、後にイーグルスの経営に携わった河野に「巨人軍の威光」を振りかざし、つらく当たる。
戦後、プロ野球が復興する時、河野は新球団を立ち上げ加入しようとするのだが…もし、この河野が加盟申請した「東京カッブス」のNPB加入が現実のものになっていたら、永田雅一の球界進出が閉ざされていた可能性もあるので、巡り巡って「ロッテ」が、或いは「千葉ロッテマリーンズ」など生まれる余地は無かったと思われる。
この辺の事情に関しては、又詳しく書くかも?

選手としても、球団経営者としても日本のTOPレベルにいた人…っていうのは広岡以降、高田、中村勝広、落合とようやくポツポツ出て来たが、河野は「大正時代」に既にそのような立場になっていた人間。先進的すぎる野球人で、そのような「奇人」には悲劇しか待っていなかった。
市岡のおかげで巨人軍に拾ってもらった山本栄一郎は、終生市岡を恩人として慕った。巨人軍の選手たちが市岡排斥運動を起こし、皆が連判状に署名した時も、ただ一人山本だけが署名を拒んだ。
共に「大恩人」の河野と市岡の対立を、山本はどんな気持ちで見守っていたんだろう…。

今日のおさらい。
日本初のプロ野球球団は芝浦協会(日本運動協会)。
2番めが「天勝野球団」(奇術師・天勝一座がスポンサーの球団)
3番目が「宝塚協会」(関東大震災の影響で芝浦協会が解散し、阪急が河野と協会の選手に救いの手を差し伸べ、関西に拠点を移して活動を続けた)
巨人軍は4番目。残念!
阪急は実質「宝塚協会」を運営しているから、巨人より先輩!なので今の現存球団で最古の歴史を持つのはオリックス・バファローズです(笑)
宝塚協会の好敵手だった「大毎野球団」(大阪毎日新聞の野球部)もプロを疑われた集団。(実際「協会」より実力的には上で、プロ疑惑が当時の文献に残っている)一般的には「セミプロ」とされている。

↑ 「芝浦協会」と「山本栄一郎」のことについて詳しく書かれている本。絶版本です。

ということで、我々にとっては誠に残念なことなんですが、
谷津が「日本プロ野球発祥の地」というのも捏造です…谷津駅北口に跨線橋を渡らずにいける道を知っているジモティーだったとしても、これだけは譲れない!



posted by mansengo at 10:19 | Comment(2) | 野球ミニ薀蓄
この記事へのコメント
明けましておめでとうございます。
本年も宜しくお願い致します。

日本プロ野球の“正しい歴史”を教えて下さいまして、
誠に有難うございました。

2014年の幕開けが、この内容であることに、
ansengo先生のアバンギャルドな気迫?を感じます。
どこまでも付いていきますよ、師匠!

昨年、個人的にブログを始めまして(野球には全く関係ありませんが)、先生の偉大さを改めて感じる今日この頃です。

今年も面白くて、勉強になって、ムチャぶりネタも満載な
“千葉マリン26マイラー”楽しみにしています。
Posted by コンバート at 2014年01月03日 16:53
>コンバートさん

新年最初の書き込み、誠にありがとうございます!
そうですか、ブログをやっているのですね。日々継続していくと結構侮れない人数の方々に見られることになり、ひとつのメディアにもなりうると思います(その分プレッシャーも増えますが…)
頑張ってください!
Posted by mansengo at 2014年01月05日 08:00
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