2012年の小野晋吾がWHIP1.12という、2005年(1.11)、2006年(1.10)と比較しても遜色ない数値をマークしているのに、なぜエスケープしていったのか?
このミステリーに迫る第2弾!もちろん、正しい保証なんてどこにも無いよ!
でも、よっといで。
そもそもWHIPとは何か?セイバーメトリクスの指標の一つだが、まぁはっきり言って
運指標
ですわ。1イニングに何人の走者を出すのか?という、1試合に何点取られるのか?の防御率のミニチュア版みたいなもんです。2006年の小野晋吾は1人の打者に対する球数が平均3球と言われております。これが全盛期であったことが間違いないところだと思われます。5年ぶりの完封を記録するなど、球数制限が厳しく管理されていた投手としては「奇跡」ともいえる芸当を成し得たのは、少ない球数で打者を打ち取れる術を身につけたからに、他ならなかった。
古参が「2000年の小野が一番凄かった」とうそぶくのであれば、
「2000年の小野はWHIPが1.40もあったんだぞ!」
と、切り返してやれ。大体「13勝もしたんだぞ。勝率1位を取った時の小野は凄かった」という、単なる見掛け倒しの数字と曖昧な記憶ですべてを語ってしまう見えていない方々だと思われます。
古参は古参で
「WHIPなんて、運指標だろ!」
と言い返してやれ。確かに1.40なんて負け越して防御率4、5点台に沈むピッチャーの数字ですからね。1997年の薮田兄さんは5勝9敗、防御率3.94という典型的「ノミの心臓」で先発やってた頃の時代の数値を残しているが、この時のWHIPが1.39。つまりWHIP的には
「ノミの心臓時代の薮田兄さん=2000年の小野晋吾」
なワケである。ンなバカな。
それだけランナーを背負っても粘り強いピッチングが出来ていたんでしょう。もっとも防御率が3.45なんで、そんなに点を与えていないわけじゃないんだけど、決勝点につながる点を与えなかったことと、この時代は
防御率1位ですらも3点台
の打高投低のピークに達した時代であったという側面もある。戎さん、お元気でしょうか?育英高校時代、センバツで敗退した時、自分が9イニング投げた後、延長に入ってから背番号10番のピッチャーが打たれて負けたのだが、泣きじゃくるそのピッチャーの肩を抱いて笑顔のエビスさんが忘れれないわ。野球七福神がここにおりました…って、小野晋吾の話なのに、なぜブレる。
2006年のピーク以降、じょじょに衰えを感じていくんだが、そもそも小野晋吾の世間一般的なイメージと、俺の持ってるイメージにはかなりギャップがある。
シュートの得意な技巧派投手
というイメージが先行しているが、
結構ボールが速く、投げ損ないが結構許されている投手
っていうのが、俺のイメージ(笑)
小野晋吾は横の揺さぶりの技巧派と捉えられがちだが、球速が145ぐらいマークしていることがあって、普通に1軍の先発を任せられるピッチャーの中では「取りたてて速くもないが、決して遅くない」
レベルにある。近年のマリーンズの先発陣が軒並み130キロ台を連発していることも考えあわせると、今の投手陣に混ぜたら「速球派の小野」なんて言われたりして。いや、さすがにそれはないか。
ポストシーズン大活躍だった美馬も、系統的にはかなり似ていると思う。彼も「横の揺さぶり」が生命線のように言われるが、基本の真っすぐ系がかなり速く、投げミスが相当許されているピッチャーだと以前から感じている。
小野の場合、環境や自分の状態に合わせるため、相当試行錯誤してきた跡が伺える。決め球が年々違っていて、常に同じイメージで語ってる人達が相当煩わしく、小野の真実が伝わりにくかったという事情が隠れているんじゃないだろうか?