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2008年02月01日

青野1号伝説

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 公式サイトのヒストリーも編年体式に縦にスクロールする形に改められていた。しかしツッコミ所満載だな、ヒストリーの各事項。

 1983年の出来事、10.25山本一義解任、11.16稲尾和久就任。ニュースこれだけ(笑)球団初の最下位に沈んだことが下のコメント欄に書いてあったが、意外なことに12球団で最後まで最下位にならなかったのがロッテのようだ。といっても、その後88,89,91,92,97,98と凄まじいペースで最下位になってるけど。

 88年の10.19は「対近鉄25・26回戦のダブルヘッダーで近鉄優勝の胴上げを阻止する。〈川崎〉」この表記も笑える。堂々と「阻止」って書くには、その前までの対近鉄戦の連敗が醜いので、ただ単にパリーグ終盤を演出しただけではないかと・・・あれこそ、まさに自作自演の「パリーグをかき回せ」だったんですけど(笑)。一応コメント欄に「伝説となったダブルヘッダー川崎球場「10.19」での激闘は今でも語り継がれています。」とフォローしてあるけど。

 過去に在籍した選手をネタに書くようなこともやってみたかったが、50年、51年の背番号15「祖父江東一郎」で止まっている。
 それでは今年更なる飛躍を期待して、青野ネタで行こう。実は今の青野は「青野2号」なのだ。「青野1号」は・・・1974年の背番号14、「青野修三」だ。青野1号はこの1年間だけしかロッテに所属していない。

 オールドファン的には「東映のセカンド」といった方がなじみがあるのでは。ちなみに筆者はリアルタイムは全く見ておらず、ビジュアルすら不明のままこの稿を書いている。立教から1962年東映入り。70年に南海に移籍、74年ロッテ漂着でこの年限りで引退。パリーグ3球団に在籍・・・っていう生粋のパリーガー。案外こういう選手は多い。

■青野修三選手年度別打撃成績

年度

所属

試合

安打

本塁打

犠打

打率

位置

実働13年

1055

785

45

142

.260

二817
三16
一1

1962

東映

129

94

1

29

.236

二128

1963

東映

149

152

8

28

.268

二149

1964

東映

119

117

6

20

.271

二119

1965

東映

93

92

7

19

.275

二93

1966

東映

126

108

10

27

.258

二126

1967

東映

91

78

3

11

.272

二90

1968

東映

95

61

4

4

.236

二71
三15

1969

東映

24

8

0

0

.286

二3

1970

南海

67

40

2

3

.272

二38

1971

南海

42

11

2

0

.289

三1
一1

1972

南海

50

11

0

1

.268

1973

南海

52

10

0

0

.217

1974

ロッテ

18

3

2

0

.188


 この数字の羅列を見るだけでも、俺はいろいろ想像して熱くなれる。ちなみに太字はパリーグ最高。つまり入団以来5年連続パリーグの最多犠打打者。格好の2番打者だったことだろう。この当時の東映は張本や毒島、西園寺にジャック・ラドラあたりがクリーンアップを打っていたと思われるが、オリンピック前までは駒沢公園にあった球場を本拠地に、「駒沢の暴れん坊」という異名を取るほど、活きのいい選手が揃った打線だったようだ。
 青野はそういったメンバーの中にあって自分を殺して繋ぎ役に廻っていた、と思われる。セカンドのレギュラーをガッチリ守っていたことは右端の「守備位置」からうかがい知れる。

 69年に干されたのか、ケガなのか判らないがガクンと出場機会を減らされると南海に放出されている。国貞泰汎が南海のセカンドだったのか、この年カープに放出されていて、それの代替で取ったのかと思ったが、国定は南海時代はセカンドよりサードの方が守備機会多かったみたいだ。ていうことはブレーザーか古葉か?しかし古葉も70年に青野と時を同じくして南海に移籍してきているが、2年でダメ出し、ノムさんにコーチ要請されてあっさり現役引退している。古葉は70年に南海のセカンド53試合に守っている。71年以降は桜井がレギュラーの座を奪っている。

 この辺背後関係をもうちょっと調べないとダメだな・・・とにもかくにも移籍1年目にセカンド38試合守った後は、「この人グローブ燃やしてしまったのでは?」という状態。最後の3年は試合数は結構あるのに、1回も守備についていないようだ。
 この人は後に軽く破られてしまうのだけど、俺が子供の頃までは「231守備機会連続無失策」というノーエラーの記録保持者だった。セカンドという守備機会の多いポジションにつきながら、堅実なプレーを続けることが出来る「名手」だったんだろう。
 2番セカンド、堅実な守備と送りバントで地位を築いた器用なタイプの男が、選手晩年グローブを燃やしたかのように無骨に代打で生き残りをかけていたのだろうか?

 最後のロッテの1年間は僅か18試合の起用で、16打数の3安打。しかしその3本の安打のうち2本が本塁打・・・本来長距離タイプでないバッターが、僅かなチャンスしかない代打で見せた最後のアピール。どんな背景や想いがあったのか知りたくなる数字の羅列。これだけでも集中力の高い選手だったことは、容易に想像できる。




posted by mansengo at 01:50 | Comment(1) | TrackBack(0) | 野球ミニ薀蓄
この記事へのコメント
南海ホークスへの移籍は、野村克也がそのバッティングセンスを買ってのトレードでした。伝説では、青野が打席の時、捕手・野村が「バットだけもって南海に来いや」とささやいたと。つまり南海時代は代打の切り札であったのです。その真価は打点に表れています。1970年22打点、1971年16打点。代打専門という「あぶさん」のモデルだったと私は思っています。その理由として、1970年の打点22は、あぶさんの1974年の打撃成績として使われています。佐藤道郎、江夏豊をリリーフ専門投手として起用したのと同様、野村克也の慧眼により、代打専門として青野修三は再生したのです。
ロッテへの移籍は、確か外山義明との交換トレードだったと思います。ちなみに外山は打てる投手の二刀流でしたが、南海移籍後は打者に外野手に転向、指名打者、代打で活躍しました。
Posted by h-odjm at 2011年01月19日 14:23
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