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2013年01月02日

水戸藩諸生党始末「忠が不忠になるぞ悲しき」読後感想文

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新年一発目のエントリーは昨年に続き「千葉ぶらり旅」カテゴリーのエントリー。といっても、千葉より茨城メインですね。

幕末の水戸藩の内乱が書かれた時代小説(?)、考証記(?)という本を手にとって、やっとの思いで読破した。300ページ余のハードカバー本なんですが、私どちらかというと速読できる方なので、2日間2時間づつぐらいあれば読み通せるかな?と当初目論んでいたんですが、毎日1時間づつぐらい読んで1週間かかってしまいました…
とにかく固有名詞が多い本で、人名・地名が頭に入っていないと理解するのが難しい書籍です。ある程度、幕末の水戸藩に対しての基礎知識ぐらいはあったのに、この体たらく。いや、それぐらいあの時代の水戸藩は複雑で、党派が細分化されていたのだ。

政権交代が起きたり、別の党派に攻められたりしたら、すぐ人を殺す。
5ページに1人ぐらいの割で人が殺される小説。人質の家族も容赦なく殺す。やってることは戦国時代から何一つ変わっていない。その頃と変わったものといえば武器類。殺傷能力が高くなっているので、その分戦争の際は更に人が死にやすくなっている。エグい記述も多い。自分たちと敵対する勢力の首を刎ねると、その首をさらし首にした後捨てる。非人が拾って、それを遺族に売る。この本にはその首の値段まで載っている!

幕末の情勢と水戸藩の行動は切っても切り離せない。前藩主・烈公斉昭は「尊皇攘夷」を掲げたオピニオンリーダーであり、安政の大獄で罰せられた。ただ殿様は蟄居ですんだが、家臣たちはそのオピニオン・リーダーに振り回された挙句、死に絶えていくのだ。斉昭の息子の一人が「最後の将軍・慶喜」であり、本来水戸藩は「御三家」として佐幕的な立場にいなければならないはずなのに、尊攘派が跋扈し、さらには尊攘派の中でも「激派」「鎮派」「本圀寺党」に分かれていて、思想も行動もバラバラ…。激派の中でも田中愿蔵のような「どうしようもない連中」と味方からも思われ距離を置かれていた人や、武田耕雲斎のようにやむなく立った人など…互いに反目しあっていた。
徳川の御三家という体制を重んじる門閥たちが「諸生党」、中立的な「柳派」、さらには「大発勢」などが途中から出てきて、登場人物がどのような立ち位置で「何派」なのかを確認するだけでも一苦労する小説なのだ。

最終的に「勝者」になった天狗党勢が、後世勝者になったために、その過程で死んでいった天狗党の者たちを靖國神社に合祀し、「悲劇化」「美談化」していったが、これを処罰して最終的に「敗者」になった諸生党に関しての記録が極めて少ないところに作者が疑問を感じて、その行程を丹念に歩き取材して作られた、本邦初の「水戸諸生党」の「通史」と言っても過言ではない、ハードで学術的にも貴重な史料になりうる書籍だと思う。
その分、小説的な人物描写の色は薄い。歴史小説って大体は、「キャラ化」させて判りやすいように構成されているじゃないですか?この本はそういったことと無縁であるがゆえに、読むのに時間がかかったと思われる。

それでも読後には主人公である、諸生党の首魁・市川三左衛門に共感する気持ちが湧いてくる。そもそも水戸藩は「徳川」なのである。にも関わらず、後に将軍になる慶喜の京都における護衛団「本圀寺党」が、維新後、「官軍」になり水戸を攻める…っていう、もう訳判らない展開である。かつての主君(薩長とは訳が違う)に弓を引くことが、大義だったのか?もちろん武士の時代に終わりを告げるわけだから、こういった不義理の上に時代は進んでいくんだろうけど。
水戸を脱出し、北陸・会津を転戦した末に水戸を奪還せんとする市川ら「諸生党」が掲げた旗には
「徳川再興」
と、書かれていたらしい。これは泣ける。三国志なら「大漢復興」を掲げる劉備的な立場で、こっちが「主役」のはずだろ?日本史なら義経?で、日本人ならこっちを「判官贔屓」していくべきではないのか?
しかし、こと水戸では「勝てば官軍」でこのストーリーは終わっているのである。
市川三左衛門は「二大奸臣」として水戸藩史に名を留めているようだ。

歴史上有名な人物との接点としては、北陸で河井継之助、会津では佐川官兵衛という両家老に合力している。いずれも市川率いる諸生党の勇猛果敢ぶり、信義に厚い行動に一目を置き、尊崇の念さえ持たれていたようだ。
市川軍の最後の地は千葉・八日市場周辺だった…。その最期の時でさえも、「この街を戦火に巻き込みたくない」と、あえて郊外に陣を張っている。天狗党は諸生党を殲滅したが、それに飽きたらず関係のないこの東総地域で略奪の限りを尽くしたらしい。聞いて呆れる「天誅」であり、「官軍」だ。
市川は天狗党の乱の折、首謀者家族を徹底的に弾圧したため、後世のイメージが悪い。ただ諸生党の短い統治時代は、藩内の領民には歓迎されたようだ。
この本で初めて知ったのが、水戸藩内における領民たちのマインドがものすごく高いことだ。それは各地に「郷校」といったものが設置されていた、教育の賜物。天狗党が尊皇攘夷の旗を掲げて筑波に挙兵した後、結局軍資金がなくなり略奪に走るわけだが、領民たちは武装してこれに対抗したらしい。天狗党の中にはこういった人たちに囲まれて、「討ち取られた」人も多数いたようだ。

しかしこの内乱も元を正せば、水戸光圀(いわゆるTVドラマでおなじみの黄門様)が「大日本史」なんかを編纂し始めてしまった事が運の尽きのように感じる。各地の宗教戦争にしてもそうだが、「神」の名の元に争いが起き、多数の「殉教者」を生み続けているわけじゃないですか、この世の中って。水戸藩も勤王マインドが高い英邁なお殿様を代々頂き、藩士ひとりひとりが遺訓を勝手に解釈して行動する「プライドの高さ」「マインドの高さ」が、この悲劇を生んだように思う。小藩なんかはこの時代、「官軍につくか、幕府方につくか」で右往左往していて、自分たちが生き残ることしか考えていなかったところが多いんだから…。

長州藩も水戸藩と同じように、内戦と幕府との血みどろの抗争の末に、維新政府の主導権を得た。主導権を得たが故に、「奇兵隊」は草莽崛起のシンボル化されているし、高杉晋作の功山寺での挙兵は近代日本への先駆けとされ、破れて処断された「俗論党」の面々は「悪役」として知られている。「俗論党」なんていう酷い呼称が、「勝てば官軍」で歴史上罷り通っている。(勝った方は「正義党」を名乗っているし…)
実は「奇兵隊」より鍛えられていた草莽崛起の兵が、水戸領内には存在していたのかもしれない。 限られた地域かもしれないが、江戸時代の教育水準の高さに改めて驚かされる。
だが水戸藩には天狗党の残党に人物はおらず、結局死に絶えていった人たちの「志」を受け継ぐものが現れなかった。

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新選組との関係では、初代局長・芹沢鴨一派が水戸脱藩で、天狗党の前身「玉造組」に入って、攘夷を決行するために佐原あたりで資金調達に働いていたようだ。後に京・大阪で商家を強請ってお金を巻き上げる素地は、この頃育まれていたわけですね(笑)
芹沢の死後入隊して、御陵衛士に分裂していく伊東甲子太郎も水戸支藩の常陸志筑藩出身。これら勤王寄りの人たちは多摩系の人たち(近藤・土方ら)と相容れないから、芹沢が生き残っていたとしても、やはり分裂したでしょうね。

京から会津に移った新選組の残党は、会津落城後、榎本武揚と合流して函館に向かった人が多いが、一部は市川ら諸生党と行動を共にし、水戸へ向かっている。水戸で敗れた市川らは銚子から船で仙台を目指す予定だったが、既に官軍側についた高崎藩(銚子の漁港・中心街は高崎藩の飛び地)によって制止された。ここで諸生党以外の人たちは降伏し、降伏しても水戸で首を刎ねられるのを待つだけの身となる諸生党の面々は、最後の一戦をするべく八日市場方面に向う。八日市場に諸生党の墓碑のようなものがあるらしいので、今年は訪ねてみたい。

市川はその後逃走して千葉・東京各地に潜伏するが、フランスへ密航?留学?する直前に捕縛され、水戸に送られ、(最も極刑とされる)「逆さ磔」の刑に処せられた。
辞世の句が
「君がため捨つる命は惜しまねど
忠が不忠になるぞ悲しき

1月2日のテレ東の時代劇は、北大路欣也に西郷頼母を演じさせて「白虎隊」を描くというドラマだが、果たして諸生党は出てくるか…無理だろうなぁ。 会津藩士が外に出ていて手薄になっていた城へ敵軍の攻撃の際に、諸生党が奮戦して撃退。会津藩主・容保からも直々に御礼の言葉をかけられている。

斉昭の七男・慶喜が徳川15代将軍で、長男・慶篤が水戸藩を継いだ。慶篤は維新前後に病没し、水戸藩はパリの万国博覧会に幕府の全権として参加していた斉昭の十八男・昭武を急遽、藩主に据えた。この人が明治後、甥に家督を譲ると、松戸に移って「松戸徳川家」を創設する。千葉大園芸学部の側にある「戸定が丘歴史公園」「戸定邸」といえば、松戸近辺の方ならご存知では?ここに居を構えて、兄の慶喜もよく訪れていたそうです。悠々自適な生活…様々な主義主張を奉じて闘争(それもほとんどが「内ゲバ」)に明け暮れ、次々に首を刎ねられていく水戸藩士たちと、明治後も悠々自適な生活を送っていた殿様たちのことを照らし合わせると、「忠義とはなんぞや?」と考えさせられますね。(もっとも水戸支藩の一人のお殿様は、天狗党の乱の折、責任を取って切腹させられております)



posted by mansengo at 00:12 | Comment(1) | 千葉ぶらり旅
この記事へのコメント
うちは諸生派でした。水戸ではその家が天狗党だったか諸生派だったかということは歴史というより生々しい曾祖父母ほどからの語り伝えですから、なかなか友人同士で告白しあうことは未だに難しいです。
Posted by きりぎりす at 2019年01月25日 14:50
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